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 生物部 単為発生マウス“KAGUYA”の誕生

理科年表 平成30年
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 雌のゲノムのみからなる単為発生マウスが作出され,かぐや姫になぞらえ“KAGUYA”と名付けられた.単為発生は,昆虫,魚類,鳥類,爬虫類,両生類などではごく自然にみられるが,哺乳類の個体発生には,精子および卵子に由来する両ゲノムの寄与が不可欠であり,哺乳類では不可能と考えられていた.その理由として,哺乳類に特有の後天的遺伝子修飾機構であるゲノムインプリンティング(遺伝子刷り込み)があげられる.大多数の遺伝子は精子および卵子に由来する染色体から等しく発現しているが,哺乳類では,一部の遺伝子ではあるが,対立遺伝子が母親と父親のどちらから由来したかにより発現が著しく異なるインプリント遺伝子が,100〜200程度存在すると推定されている.したがって,雌ゲノムのみから構成される単為発生胚では,母親アレル発現をするインプリント遺伝子は過剰発現し,一方,父親アレル発現をするインプリント遺伝子は発現が抑制されているために,個体発生を遂げることができない.
 ゲノムインプリンティングの情報は生殖細胞形成過程で刷り込まれる.このことは,未発育の生殖系列細胞ではゲノムインプリンティングの情報が刷り込まれていないことを意味している.そこで,卵子の操作技術を駆使して,新生仔に由来する未発育の卵母細胞の半数体ゲノムと,正常発育卵子の半数体ゲノムをもつ二倍体胚を作成したところ,雌側で制御されている遺伝子のすべてにおいて発現の逆転(すなわち父親アレルにおける発現パターン)が生じ,主要な臓器形成が認められる妊娠中期にまで発生延長することが明らかとなった.
 この知見を踏まえ,さらに精子形成過程でゲノムインプリンティングを受ける遺伝子のうち,胎仔の成長を調節するインスリン様成長因子II型(Insulin like growth factor II, Igf2)遺伝子およびその下流に位置するH19遺伝子(タンパク質をコードしていない)の発現を片親性発現に改変するために,H19遺伝子本体とその上流の発現制御領域をあわせて欠損させたマウスを用いて単為発生胚が作成された.その結果,この単為発生胚では,新生仔卵母細胞由来のゲノムからは,本来発現するはずのないIgf2遺伝子が発現し,逆に,発現していたH19遺伝子の発現は認められなくなった.そして,わずかこの2つの遺伝子の発現制御が,広範な遺伝子の発現を正常化し,生存可能な単為発生個体の誕生を導いたのである.
 “KAGUYA”の誕生は,後天的遺伝子修飾による遺伝子発現調節が,哺乳類の個体発生を支配している決定的な証拠となった.

【 河野友宏 】

■トピックス後日談■

「単為発生マウス“KAGUYA”の誕生」
 次世代をつなぐ生殖細胞の卵子と精子には,ゲノムに刻印された分子基盤に決定的な違いが存在する.その実体がゲノムインプリンティングであることを示す初めての確実な証拠となった「二母性マウス“かぐや”」が誕生して,すでに13年が経過した.この間,種々の細胞の機能を特徴づける分子基盤であるエピジェネティクスに関する研究は,生命科学のさまざまな研究領域において目を見張る進展を遂げている.その背景にあるのは,驚異的な解析能力を持つ次世代シークエンサーの登場である.現在では,一回のラン(7日程度)で1500Gbのデータの取得が可能な機種も登場し,わずか1000ドルでヒトゲノム解析が可能になっている.その結果,エピジェネティクスの解析対象は特定のゲノム領域のDNAメチル化やヒストン修飾から,一気にゲノム全体の包括的な情報収集へと飛躍的に拡大した.たとえば,DNAメチル化サイトであるCpGジヌクレオチドは,ヒトおよびマウスでそれぞれ2300×104および2100×104個存在しているが,個々のCpGサイトのCytocineメチル化の有無をすべて決定できる.ゲノム全体の40%以上を占めるレトロトランスポゾンやサテライトDNAなどのメチル化状況も明らかにされ,ゲノムの安定性や遺伝子発現制御との関連について盛んに研究されている.また,CpGサイト以外のCytosineのメチル化の情報も取得され,その機能が注目されている.生殖系列に目を向けると,雌雄生殖細胞が全能性を獲得するプロセスにおけるDNAメチル化のリプログラミングの全容も明らかになってきた.もちろん生殖細胞のみならず,身体を構成するする各種細胞,分化過程にある細胞,幹細胞,さらにはがんをはじめとする病変細胞におけるDNAメチル化の特徴を,一塩基レベルで網羅的に比較することが可能となった.同様に,クロマチン構造に密接に関与し遺伝子発現を制御するヌクレオソームを構成するヒストンのN端テールの各種修飾についても,ゲノムワイドの情報取得が可能となり,膨大な情報が集積しつつある.まるで人工衛星からモニタリングされている超高解像度画像のように,ゲノム全体のエピゲノム状況を俯瞰できると同時に,一塩基レベルでDNAメチル化の状況を判別可能となった.もちろん,遺伝子発現の情報の集積も凄まじい.転写産物の解析対象は大きく広がり,タンパク質をコードするRNAはもとより,非コードRNAの20塩基程度のsmall RNAと200塩基以上から数十kbpにおよぶ長鎖long non-coding RNA(lnc RNA),ならびにセンスおよびアンチセンス鎖を特異的に検出するstranded RNA解析も盛んに行われている.さらに研究は,単一細胞のエピジェネィクス情報およびトランスクリプトーム情報の取得に向け急展開を見せており,単一細胞レベルにおけるまったく新しい世界が広がるものと期待されている.

【 河野友宏(2017年9月)】